#1. 渡航前の気持ちの変化、どう向き合う?
#1. 渡航前の気持ちの変化、どう向き合う?

#1. 渡航前の気持ちの変化、どう向き合う?

念願の海外留学実現が近づいている皆さん、いろいろな感情で溢れているのではないでしょうか。私は、日本とは異なる現地の生活や文化に対して、楽しみや興奮を抑えられないと同時に、日本にいる大切な人たちにすぐには会えなくなることを想像して、寂しさも募らせています…。

今回は、「寂しさと向き合う方法」がテーマです。留学に限らず、みなさん、どのような時に寂しさを感じますか?ここで書く私の考え方がどこまで汎用的なのか、見当がつきませんが、もしかしたら誰かの役に立つかもと思い立ったので、書いてみたいと思います。


寂しさの正体は?

寂しさを感じるときって、家族や友達、好きな人に何か「してもらう」ことを期待しているときが多い気がします。例えば、留学を半年後に控えている私は、「半年後には海外に行くから、それまでにたくさん遊んでほしい」と普段よりも期待して、それが「寂しい」という形で現れているのだと思います。

そんな風に1人で期待してしまうときこそ、「自分が周囲にどう貢献できるか」に意識を向けると、心持ちが変わります。具体的な貢献の形は、本当に人それぞれだと思います。そんな多様性の中で強調したいのは、具体的な貢献の形を探るためには、「他者に対するスタンス」になんらかの軸が必要ではないか、ということです。

私の軸のひとつは「相手と一緒に笑うこと」です。少しでも誰かと共有する時間があるなら、相手と一緒に笑う機会を自分から作る。飲み会で、醤油取ってと言われたら中濃ソースを渡してみる。そのズボンパジャマみたいと言われたら、すね毛隠してんだわと言ってみる。訳がわからなくても、客観的に面白くなくても、その場で笑いを共有できればいいと思います(笑)

こうやって何か軸を持って、積極的になると、不思議と寂しさは和らいでいく気がします。

寂しさ、周囲に伝える?

みなさん、「寂しい」という感情を周囲に伝えますか。伝えることによって、人間関係にどんな化学反応が起こるでしょうか?逆に、伝えないことによって、人間関係にどんな影響があるでしょうか?

私は最近まで、「寂しさを伝える」ということに関して、特に意見はありませんでした。おそらく、進学に向けた準備や学士論文の執筆、アルバイト等で、寂しさを感じる暇がなく、寂しさを伝えるどころか、感じる機会があまり無かったのだと思います。でも、長期留学を前にして、積極的に考えたいテーマになりました。

寂しさを伝えることは、人間関係において潤滑油

寂しいと伝えることは、素朴に言えば、単なる気持ちの吐露です。でも、伝え方によっては、人間関係における「潤滑油」として機能すると思います。「寂しい」という気持ちを、「もっと会いたい」という期待の裏返しだと考えれば、伝えられた側はその期待をどこか感じて、心の距離が縮まるように思います。

伝え方によって」というのは、相手の人間関係や生活に対するリスペクトを含む限り、ということです。留学の文脈で言えば、留学に行く側からすると感じる寂しさは大きいですが、その感情の程度は、見送る側と完全にリンクしているわけではありません。見送る側にはそれぞれの人間関係があり、それぞれの日常があります。それを考慮せず、むやみやたらに寂しさを伝えてしまっては、心の距離が縮まるどころか離れてしまうと思います。

では、どのように伝えるのがいいのか。目標は、相手に「この人にとって、私との人間関係は大切なんだな」と安心してもらうことだと思います。ただ、どのように振る舞えばそれをナチュラルに表現できるのか、いまの私にはわかりません…。みなさん、思いつきますか?


今回は「寂しさと向き合う」を中心に書いてみました。主観的なことをやや強引に一般論かのように語ってしまっている部分がありますが…(笑)なので、ひとつの考え方として、一歩引いて読んでほしいと思います。